例えばこう言う人もいる。
与えられるから受け取りたくない。
誰かに入院させられた。
誰かに施設に入れられた。
誰かに仕事を斡旋された。
こう言うのは施設の生活で、少しづつしてもらった事に変わっていくのだけど、こじれることがある。
施設にいても、誰かのコントロール下にあると感じている時だ。
だから僕は、その人の生きる力を信じてコントロールからの脱却を提案する。
最近、アルバイトを始めた彼も同様だ。
施設での取り組みを自分で稼いだお金でやってみたらどうだい?
いつまでも親にやらされてどうするんだよ。あなたの人生じゃないのか。
こんなやり取りで、仕事を探してきたKはそれこそ3日で辞めてきた。
辞めたいと相談に来た時、自分で決めていい。僕はあなたが決めたことを全面的に支持すると伝えた。一点だけ、親からの入所費用がなかったとしても同じ決断をするかは考えてみるよう付け加えた。
数日後、職場に辞めると伝えて帰ってきた。
周りの仲間たちの目が気になっているのかどうかは知らないけど、いつもと違う場所に座ってどうしたらいいのかわからなそうな顔をしているので、次はいい仕事に出会えるといいな、それとも本気出すために先に家族に入所費用の打ち切りを伝えるか?と冗談を交わした。
次はハローワーク経由ではなく仕事を探してみるようだ。
頑張れ。
人生の責任を自分で取るから、自分のサイズがわかる。
だから、誰に何を頼ったらいいのかわかる。
そんなモラトリアム脱却から始める人もいるが、その心理的葛藤は愛せる。この先どうなるのか、一緒にみてみたい。