5台目のスマートフォンの預かり台帳にサインをしてもらったのは今日の午後だった。
僕にとっては通常のやりとり。
施設には、
やめられない人しかいない。
しかし、やめられない人がみんな必ずしも同じかといえばそうではない。
やめられない人の中には、
①やめられないけどやめたい人、
②やめられないけどやめたくない人、
③やめられないけどもう大丈夫と思考ストップした人、
主にこの3パターンで形成されているような気がする。
僕がなぜ①の人だけ選んで入所してもらわないかといえば、それは①から③は流動的だからだ。
どの人にもやめる権利もやめない権利もある。
そう考えれば、僕が彼らにやめさせる関わりを取らない理由がわかってもらえるだろうか。
とはいえ、施設には最低限のルールがあってそれを守らない場合にはそれなりの対応を取る。
さて本題に戻る。
普段から利用者の親身になって考え関わってくれている職員から、スマートフォンを預かった出来事に関して「かまをかけたのですか?」と質問された。
これはとても大事なことなので真面目にレスした。
かまをかけるようなことを利用者と職員間で行っては絶対にならないと思う。
かまをかけるとは、ひっかけるということ。もう少し極端に言えばだますということ。
依存症からの回復には、信じることや正直になるということがとても大事な要素だという。
これを職員がやるというのはどうだろうか。
だからこそ、僕が指摘をするときは駆け引きではない。
指摘するということはうまくやれてない(ルール違反以上に何か生活に支障が出ている)事実を目にしている、つまりそれ以上はやめようというメッセージでもある。
5台目のスマートフォンに4000円、そのスマートフォンを利用してやったギャンブル10000円ほど。
やめられない。できればやめたくない。
それを共有した今日の午後。
それでも彼はここにいる。