施設であるトラブルがあった。
いつも通りみんなで解決してもらったのだが、
その後も何となく腑に落ちてないようで、
緊張感だけが残っている。
これは仕方がない。
平凡な人達は、それでもそれなりの人間関係を築けるのかもしれないが彼らはそうもいかない。
それなりの関係を築けない別の人は、仲間を巻き込んで排除しようとする。あの妄想癖は何をしでかすか分からない。入院が必要ではないか?集団生活は難しいのではないか?とまあこうなる訳である。
だから僕は、相手のことは変えられないから自分のことで変えられることはないかと伝える。
大抵心当たりがあるもの。
それを指摘すれば、ギャンブル依存の治療のために来ているのであって人とのコミュニケーションを改善するためではないと、問題の本質までも排除してしまう。これも一つのパターン。
人とのコミュニケーションの中にこそ、自分の誤った考え方を多く見ることができる。考え方の変容が無ければ行動の変容はあり得ない。排除はするな。不快にもつきあえ。ギャンブルがやめられないのは原因ではなく症状だ。