ちょっと前に、どこかの元刑務所長が『自立』とは1人で生きていくことではない、そのために人の手を借りることだと言っていたのをたまたま聞いた。
僕はこの話を聞いてからというもの、このフレーズが必要な人には一語一句間違えないよう必ず伝えるようにしている。
必要な人にはと言ったが、自立という言葉を使うほとんどの人が前者の意味で使っているので、僕はほとんどの人に伝える事になる。
ああ、正しく言っておかないといけない。
人の手と人のカネは、全く別物。
ギャンブラーは人の手を借りられないものだから、カネを欲しがる。ギャンブラーの名誉のために?一応言っておくと、いつもギャンブルの軍資金として金を必要としているのかと言えば、必ずそうでもない。ようは人の手を借りられないのだ。
病的なギャンブラーは人の手が必要だったのに、カネを欲しがって人がいなくなる。そして気がつけば孤独となっている。運良く人の手で施設に繋がることが出来た人はそこで仲間を得る。施設はずっといる場所ではないので、いつか出ていく。その時、自立と孤独を近似値で考える人が多い。施設に繋がった道を逆に行けば同じ結果になるのは自明で、孤独の結果は病的なギャンブラー。
つまり出る時は人の手を借りられるようになればいいのだ。
仲間がいればいい。
理解ある支援者がいればいい。
支援者と言えば、医療従事者を想像する人が多いが行政の担当者なんかも支援者だ。愚痴っぽくなるので行政批判は控えめにしておくけど、行政担当者の対応は本人の社会復帰や社会参加に大きく影響する。彼らの対応や一語一句は、本人にとってみれば社会の代弁者のように映る。お願い、理解してとまでは言わない。嘘でもいいから彼らを応援する姿勢をみせて。それだけで彼ら自身が社会に戻る権利を勝手に獲得できる。
そうそう!
先日感激した行政担当者の対応について最後に。
施設入所者が治療期間を終えて、就労プログラムへ移行した本人への担当者からのお手紙。給与が安定してきて生活保護が切れるかきれないかの境界にある人への行政の対応。本人は生活保護が切れて本当にやっていけるか不安になっていた。
支援ってこういうことなんだろうな。
余計な事はしないけど、
やれる!がんばれ!なんかあったらちゃんと助けるから。
さて、僕の姿勢は大丈夫だろうか。。。