僕はギャンブル依存の父を見て生きてきた。
僕は第一子長男として生を受けたのだけど、
父がギャンブル依存症だという事は20代後半まで知らなかった。実際のところ、社会の中で認知されていない病気だったということはとても大きいのだが、NSとして働いていた頃に「患者」を通して父を知る。
ところで、子供ながらに僕は当時何を思っていたのだろうか。ギャンブルがやめられず、借金を作っては母とバチバチやっているその時に、どう生きていたのか振り返る機会が最近あった。
幼い子供を妻に任せて治療しているギャンブラーの、家族への埋め合わせについて考える機会があった。
まだ幼いからと子供達には隠して治療していたが、契機が訪れ子供達に事実を伝えたと妻から聞く。まだ指の数にも満たない子供が、話してくれてありがとうと母に言った。お父さんは生きていたんだ、良かったと言ったという。
僕はこの話がよくわかる。
家の中で隠されている事、それが家族のためであったととしても子供の僕は家族の一員である事を否定されているように感じていた。でも、その理由も僕らを傷つけないためにやっている事だろうから、触れてはいけないとも思っていた。だからこそ、何もなかったかのように毎日を過ごすよう心がけていたけど、実は毎日毎日が不安でいっぱいで、大人になればこれは解決すると信じ込んで、子供なのに大人のふりをした。いつも責められている、でも大好きな父の話をすれば母が悲しんだり不安になったりする。それをしたくないから父の話は母にはしなかった。結果、悩みを相談したり、誰かを頼るという事をしないのが大人の振る舞いだと勘違いするようになっていった。
僕はいまだに、この特徴が悪影響する時もあるのだが、この業界にいるとそんなのすべて見透かされてるから隠す必要もないことに気がつき、話すことができるようになった。これは同業者や専門家だけでなく、施設の利用者にも同様だ。彼らに起こったことは、僕自身が共感できるし彼らもまた受け入れてくれるという信頼感がある。なぜか?それは彼らが正直に自分の話をしてくれていると感じるからだ。
話を戻そう。
僕は子供だったけど、何が起こっているのか知っていた。ところが話してくれないから知らないふりをした。僕が欲しかったのは、信頼してもらえているという絶対的な安心感だった。
子が母に、話してくれてありがとうだなんてなかなか言えない。ちゃんと子供たちは育っているし、これまでの親子関係の賜物だ。話してくれたこともそうだけど、信頼してくれたことが嬉しかったんだろうなと勝手に想像を膨らます。
僕はこの話を共有したくて、自宅に帰って妻に話をした。今は僕にも、絶対的安心感の場所がある。妻は、うん子供はちゃんとわかってるよねと話を聞いてくれた。
会ったことのない、誰かの家族の話に自分を投影して涙する。まだまだ未熟者、だけどもそれが僕。