職員の家で作った大豆を大量に頂きまして。
思いつきで、味噌を作ろう!という話になり、、、
いえ、僕が言い出したのです。
こんな感じでぐつぐつ灰汁を取りながら、お豆が柔らかくなるのを待ち、
こんな感じで揉みこんで塊にし、
最後に塩と麹を混ぜ、半年くらい寝かせるらしいです。
僕が言い出したのに、事務仕事やってお手伝いしなかったので大ヒンシュクでした。
たしかに。
職員の家で作った大豆を大量に頂きまして。
思いつきで、味噌を作ろう!という話になり、、、
いえ、僕が言い出したのです。
こんな感じでぐつぐつ灰汁を取りながら、お豆が柔らかくなるのを待ち、
こんな感じで揉みこんで塊にし、
最後に塩と麹を混ぜ、半年くらい寝かせるらしいです。
僕が言い出したのに、事務仕事やってお手伝いしなかったので大ヒンシュクでした。
たしかに。
カッコつけてるなぁ。
先日、長崎DARCの中川さんとGRAF長崎の菅さんと一緒に、
長崎県の委託事業である依存症対策支援事業に参加させていただいた。
長崎県の支援がまだ確立していない地域にメッセージを運ぶと言う主旨のものだ。
今回は母の地元である上五島地区と言うこともあり、なかなか会うことができない親族への挨拶も兼ねて宿泊は1人祖母の家にさせていただいた。
結論から言おう。
翌日集まってくれた地元の人は、僕の親族4人ともう1人の人だけだった。
確かにそう言った関心の無い地域への支援が目的なので、それは仕方のないことなのかもしれない。
ただ、行政の人はもう少し広報を頑張らないと。
建前で依存症対策してますよって、民間巻き込むのは悪いことじゃないけどやれることはやってくれないと、なーんにも意味がない。
中川さんの話は、依存問題は何かにはまって問題行動が起きる。
だから、それやめる必要があると言う話ではない。
依存問題の前に、各々何かの問題を抱えている。
人とうまく話ができないとか、特別なこだわりがあるとか、何をやっても満たされないとか、シンプルに生きていく事が苦痛だとか。
大抵の人々はそう言う問題(生きづらさと言ったりする)を試行錯誤で解決していく。逆にいえば、そこでアルコールや薬物、ギャンブルで解決出来た人が依存問題に繋がりやすいというものだ。
あくまで個人的な意見としてと付け加えて話されていたが、
抱えている問題のために、生きていくことが困難で死を選ぶくらいなら薬や酒、ギャンブルを使ってでも生きたほうがいい。
ぐちゃぐちゃでも生きているほうがずっといいと言う話には心の底から共感できた。
終わった後の家族からの話。
「特に酒やギャンブルの問題で苦しんでいる家族はたくさんいる。
そういった人たちに聞いてもらいたかった。」
新しい仲間のお部屋が、二人部屋か狭い一人部屋かの二択になっていた。
施設の構造上の問題である。
しばらくすると、プログラム終了のため退所される方の見通しも立っていたので、
この間は辛抱してもらおうと思っていた。
「これは僕の考えになってしまうのですが…」と、あるメンバーは話して来た。
初めて繋がった施設で、あの狭い部屋は辛いと思う。初めはボロボロでやってくるので少しでも安心して、のんびりできる空間で生活してほしい。
僕が説教部屋に行きます。(※4畳ちょっとの狭い部屋で形も歪なので、再発した時に反省する部屋にしようとみんなで冗談を言っていた通称説教部屋)
施設生活は毎日続く。
それが分かっているから、格好つけたくてもつけられない。
みんな自分の生活を考える。
彼には感謝の気持ちを伝え、ありがたく気持ちを受け取ることにした。
思わず新しい仲間にその事実を知っててほしいと思ったが、それはやめた。
それを僕が伝えてしまったら、彼の善意を汚してしまうことになるから。
そして僕は気がつく。
彼が来てから、駐輪場に煩雑に置かれていた自転車が、
10台以上の自転車が車や通行人の邪魔にならないように綺麗に並んでいることを。
新しい仲間が今日やって来た。
幼い見かけと裏腹に状況はズタボロで、父親につれられてやって来た。
彼と会うのは2回目。
先日会った時は、自分でやれると帰って行った。
家族はそれがダメだと分かっていても、なんども尻拭いをしてしまうもの。
それは本人の苦しさや結果として家族に迷惑がかかってしまうという恐れから。
今回も借金の精算を家族がするので、安心して施設で治療をしないかという本人へのお気持ちで来られていたのだが、それはやめていただいた。
どうなるかは分かっている。
本人は本人で、罪悪感を抱きながらも元の生活に戻る。
施設での治療なんてやりたくもない。
僕から伝えたのはシンプルで、ここは借金の問題を解決するところではない。ギャンブル依存症に取り組む場所である。
しかしながらギャンブル依存症の問題に取り組めば、借金の問題はどうにかなっていく。順番を間違ってはいけないというもの。
この話の後、彼には頑張れ、取り組む必要が出て来た時はいつでも連絡をするようと伝えて見送った。
数日後、本人から連絡が来た。
入所を希望する、借金の取り立ての問題で家族に迷惑がかかることが心配だが、僕にはどうしようもなくなった。
その裏には、家族がこれまでと対応を変えた努力があることを僕は垣間見る。
家族も努力し、本人も決断した。
COBYPLANに昨年の今頃来られた彼。
もうすぐ1年です。
来た当初、借金まみれでどこから手を付けたらいいのかわからず言葉通り路頭に迷っていて、
それでも私は依存症ではないと否認し続け、
ミーティングにでれば皆みたいに話ができませんと言い、
デイケアへの自転車移動は足腰が弱いのでできませんと言い、
皆で作る食事の準備はもってのほか、記憶力が著しく低下しているのでできませんと言い、
何度も施設を出て孤独死したほうが良いとあきらめかけたのは彼自身です。
依存症じゃないのに私がなぜここにいるのかという退所の懇願と、
一方で私は依存症なのですか?という質問とをことあるごとに繰り返し、
その都度僕はこう言う。
「あなたが依存症なのかどうかは私にはわからない。ただ、生きて生きていくことはどうにもならなくなっていたようです。」
数か月出たり入ったり、他の施設にお試しで行ってみたりを繰り返した後、
少しづつ変わっていった。
今では最年長でありながら、みんなと同じ生活が送れるように。
毎日のミーティング、移動は自転車、料理当番、施設での鍵番長、仲間のサポート。
グループの中ではムードメーカー。
最近では40代の新しい仲間に触発されて、ベンチプレスで筋トレなんて始めている。
一年もたてば元気になる。
仲間といれば元気になる。
それはわかるけれども、目には見えない。
回復していくときに、ペースや期間などは個人差があっていいと思っているのだけど、
他人にあまりに無関心でよろしくないと思うことが多々ある。
例えばセミナーなどの回復するチャンスを自分のものだけにしたり、
トラブルを起こした人がその事後処理に追われているときに、己の回復のためにと時間になればさっさと自助グループに出かけて行ったり…。
はっきり言おう。
そういう弱肉強食というか、世の常から離脱した人の集まりが施設ではないか。
ここでまた同じ現象を起こすのか。
無関心は無知よりも始末に負えない。回復はみんなのもの。
以上。
法律とは誰のためのものなのか?
中二病≒ファンタジーに酷似した今回の始まりです。
先日こんなことがあった。
他県からきた新しい利用者がグループホームに入所する手続きを行った。具体的に言えば、障害者総合支援法の共同生活援助(グループホームを利用する)というサービスを受給するための手続きである。
この制度によれば、入所するにあたってその決定を行うの前居住地である。つまり、COBYPLANは佐賀市にあるので、広島県から入所申し込みがあれば、通常広島県がサービス支給決定を下さなければならない。
ここで問題が生じる。
広島県とすれば、広島を出ていく人になんでお金を出さなければならないのだというごもっともな気持ちになってしまうらしく、法律にもかかわらず拒絶することになる。
当然と言えば当然で、その施設が同県にない以上法人税やらそこで働く従業員からの徴税ができるわけでもなく、自治体としては単なる支出でしかない。
すると僕は佐賀に申請することになるのだが、当然佐賀としては法律通り前居住地が支給決定になるので、受け付けないと突っぱねる。
これだと困るのは入所を希望している本人と、そのサービスを無償で行うことになる事業者になる。
ここで考えてみてほしい。
果たして、入所している人にサービスの支給決定が下りないからと言ってサービスを行わないことができるだろうか。
当然できない。
ならばと僕は法律で対応できる形への既成事実をを粛々と準備する。
前居住地を佐賀にしてしまうのだ。
当然この対応に佐賀は面白くない。法律を逆手にとった対応だからだ。もともと居住地特例とは地方の財政を圧迫させないための法律。それは承知している。
もうこうなってくると言いがかりに近い話になるのだが、僕の理解に間違いがなければ予算の見込みが立ち辛いこれらの原資は、地方交付税つまり国家予算で補填されるはずなので、窓口レベルにそれがおりてくるのかどうかは不明だが、自治体レベルでは担保できているはず。にもかかわらず、こんなにも頑ななのはなぜか。
相入れられないお互いの主張には、行政は行政の、我々は我々の正義があるのだろう。
ヒトモメしたものの、結果としては佐賀が仕方ないですねと受け入れてくれた。
後は企業努力。
依存症のリハビリ施設と謳っている我々の施設は、生涯サービスとは考えていない。ある期間で一定の効果を上げ、社会復帰を目指す。それが認めてもらえるような努力をしていきたい。
cobyplanを利用する方々が、過去そうであったように我々もまた与えてもらうだけでいけない。
7月からの開設に向けてバタバタと準備しておりました。
無事に開設できまして、これまで以上にリハビリに専念できる環境を整えることができるようになったのではないかと。
詳細は近日中にアップしたいと思います。
余談ですが、建物の名前をCASTLE COBYPLAN(COBYPLAN城)にしたのですが、
メンバーはラブホテルの名前かと言っておりました。
上等です。愛のある施設でありますように。
自由を訴え、そのタイミングを自分の物差しだけで判断し、行動する時は大抵裏に隠されているものがある。
簡単に言えば、不正直。
施設で集団生活となれば、いろんな人がいる。
今日はある利用者と次のようなやりとりがあった。
「〇〇とうまくいかず、ストレスが溜まるので1人で散歩していいか?」
「1人で行動できるタイミングになれば、それもいい。
今はそれが出来ない訳だから、施設の他の仲間を誘って行ったらいい。」
「それをやると、その人に迷惑をかけてしまうことになる。」
「そういう時もあるかもな。そうとも限らないと思うけど。うまくいかずにストレスがたまる相手っていうのは社会に出た後もいるけど、そんな時どうするの?その本人と話してみたらどうだい?」
「それはできない。多分僕キレますもん。」
「そうか。ここはそういう事をトレーニングするところじゃないの?」
「社会に出てからはやれるので大丈夫です。それをここでやる必要はありません。」
「そうか。やれるかもな。やれない時もあるかもしれないけど。」
「僕、不思議に思っていたんですけど、〇〇さんはここに来て1ヶ月で1人行動出来るようになったと聞いたんですけど、何で僕はだめなんですか?」
「それは人それぞれ違う。」
「〇〇さんは信用していて、僕の事は信用してないじゃないですか!」
「どっちも人としては信頼してるよ。ただ、病気の症状に関しては信用していない。病気は自分でコントロールできるもんじゃないからね。」
「病気ってなんですか?僕はいつ1人で行動できるようになるんですか!?」
「まずは今日一日クリーン。病気の症状は不正直。佐賀に来て、何回ギャンブルやったかい?」
「2回です。」
「最後いつだい?」
「覚えてません。」
「一昨日の日曜日は?1人で出かけて数時間帰ってこなかった日」
「やってませんよ?」
「みなまで言わせるな。ギャンブルやる事は仕方ない。不正直さも仕方ない。ただ、ここまで言わせてるのだから嘘をつくな。」
(彼は日曜日に1円パチンコに行っている)
「めんどくさい、めんどくさい、もういいよ!」吐き捨ててどこかに行ってしまう。
捨て台詞を吐かれるというのは正直気持ちいいもんじゃない。
ましてや彼は今日、僕の新しい家族(愛犬)のためにと言ってなけなしの生活費の中から気の利いた物(犬のガム)を買ってきた。他に使いようのない物なので返すわけにもいかず、自分の回復のために金を使えと言ってデスクの上に飾られているのだけど、僕が1番嫌いな金や物で相手を支配するという行動に見えてしまって気持ちが悪い。
自分の行動に責任をとる。すぐにできなくてもいいから、ここで取り組む大事な事。直面化した時に、逃げてしまう事は仕方ない。ただその後過ちに気がついたら、それを認めて相手に伝えよう。
きっと出来るようになるよ。
12.正常な支払いのために「ギャンブルの元手」を使うのを渋ることがありましたか?
GAにおける20の質問から抜粋。
ほとんどの場合、食生活を見ていればわかる。
いま彼らが何にお金を使っているのか。