COBYPLAN

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16人目!

2024/01/25

〇〇人目!というのが半角になったり、全角になるのは愛嬌ということでお許しください。

佐賀に来て3年、釣り好き、買い物好き、曲がったことが大嫌いノムおじさんです。

よくモノの例えで、コップに半分の水が入っている状態をあなたはどう感じますか?というものがあると思います。半分しか入っていないと感じる人もいれば、コップ一杯の水と感じる人もいます。ノムおじさんは、測ってみないとわからないけど、250ccのコップだとすれば半分より少し少ないので122ccから125ccくらいでしょうか。あくまで私の感覚なので当てになりませんが、その前にそこに入っているのは本当に水かどうかもわかりません。物質によって体積や密度は違うので、果たして先ほど答えた単位で答えていいのかどうかもわかりません。そういうことを言い出し「そうな」方です。彼との付き合いは人とのコミュニケーションを再考することができるので、(嫌味ではなく)僕の成長に役立っています。ありがとう。

はじめまして。ギャンブル依存症と買い物依存症のノムです。
ギャンブル依存症としてCOBYPLANに入所して3年が経ちギャンブルを3年以上やめ続ける事が出来ています。
しかし、私は2023年11月11日よりやり直すことにしました。

私は20歳で競馬とパチンコを始めてから約25年間周りの人と変わらない所謂普通のギャンブルをやってきました。
競馬は8年ほど前にネット投票の年間の収支と回収率が酷い結果になり、才能が無いと諦めて賭ける事をやめ、スポーツとしてレースを見て楽しむようになりました。パチンコは過去に3回負けが続いた後に1ヶ月ほど収支を付けたところ全て10万円前後の勝ちという結果となってパチンコは波が有るけどそんなに負けていないと思ってやめませんでした。

約7年前からパチンコが止まらなくなりギャンブル依存症が発症しました。ウソをついたり、仕事を休んだりしてパチンコに通いました。お金が無くなればクレジットカードのキャッシング枠や消費者金融で借金してパチンコをやり続けました。お金を作るアテが無くなれば母のクレジットカードで買い物をして買い物依存症を発揮した後にギャンブル欲求に負けて買った物を売ってパチンコに行き、母名義の借金を130万円以上作りました。
私の異常な行動を見かねた母は私を施設に入れると言いましたが、当時施設に入りたくなかった私は先ずは自助グループ(GA)に繋がりました。GAのお陰でギャンブルに行く頻度は減りましたがやめ続けることは出来ませんでした。GAで13、4ヶ月経った頃、他の仲間と問題を起こしてしまいGAに通うことをやめました。

GAに通わなくなって少し経ってからまたパチンコに明け暮れる日々が始まりました。家賃や水光熱費等もパチンコに注ぎ込みましたが幸い督促用紙で振り込む事が出来たのでライフラインは止まりませんでした。売れるものは売って部屋の中はガランとしていました。遂にはパチンコをするために窃盗を犯しました。10件ほど窃盗して警察に捕まり留置場と拘置所に入りましたが、裁判で3年の執行猶予が付いて釈放されました。留置場の中で弁護士さんと施設に入る事を約束して、施設長が面会に来てくれたので釈放されたその日に施設長が拘置所まで迎えに来てくれました。

佐賀に来て入所後は幸いギャンブルに対する欲求がなく概ね平穏な日々を過ごせて、毎日“依存症”という共通の病気を持った仲間と共に施設のミーティングや色々なプログラムに取り組み、夜のGAとNAに通い、自分が思う“回復”に向けて努力しています。楽しみながら回復するために取り組むプログラムも様々で、自分が好きな事もすれば肉体的に出来ない事や嫌いな事もしなければいけません。でも当時は何事にも前向きに積極的に取り組もうとしました。

先行く仲間にスポンサーになっていただいて12ステップ・プログラムに本格的に取り組むようになりました。ステップ1~11まで手渡していただきましたが、私自身の問題でステップ7と11がうまく出来ません。でもプログラムに取り組む前と比べて自分の問題が分かり、他人の問題との切り分けや色々な気付きや受け入れる事や許す事等が少しずつ分かってきてそれに伴う行動も少しだけ出来るようになってきました。

ギャンブルの問題に関しては順調に、他の問題に関してはほんの少しずつですが良くなっていく日々を過ごして、入所後2年4ヶ月で生活訓練を終了して就労移行支援事業所に通うようになりました。事務的な仕事に就くための学習をして資格や検定を取得しました。簿記2級の勉強をしていて順調であれば2023年内合格を目指していました。
施設のプログラムから離れた分GAに通い続け、欠点が出ないようにGAの役割を持つようにしました。“ギャンブル依存症”については当初自分が思っていたより順調に回復に向かっていると思います。

しかし今年の10月中頃に落とし穴が有りました。私は以前からミーティングやクリニックの診察で自分が“買い物依存症”であることは話していました。しかし自覚が有ったり表面上は認めていても心の底から認めていませんでした。そのため買い物依存症でスリップしてしまいました。銀行通帳と下ろしたお金を紛失してしまった事と衝動的な買い物をキッカケに色々な買い物をして口座に有ったお金を15万円以上使いました。11月に入って一時的に止まりましたがスリップした事を仲間やスポンサーや施設職員に正直に話す事が出来ませんでした。
それがバレて施設でやり直したいと言ったところ施設長は快く引き受けてくれました。
ギャンブルはしていませんが、買い物・浪費・借金依存症の自助グループ(DA)に繋がっていなかった事、新しい生き方を少しずつ始めている途中で昔の生き方に戻ったことから、GAミーティングで買い物依存症のスリップをした事を話した日をGAでの1Dayとしてやり直す事にしました。

今後DAにも繋がって買い物依存症の問題にも取り組み、“依存症”という共通の病気を持った仲間と共に、支援してくれる方々や自分が今思っているハイヤーパワーの力を借りて、自分が置かれている環境や今の状況等の色々な物事等の現実を正直に見つめて回復に向けて色々な事を努力していきます。

 

 

新年のご挨拶

2024/01/12

今年はどんな一年になるのか。

目標をたててもその通りにならないから、ある時から立てることはやめていたものの、何故かハンカチを毎日持ち歩く男になりたいと思って新年の初売りに向かった。ところが気にいるハンカチが見つからず、今年もハンカチを持ち歩く男になり損ねた。

 

施設の皆んなも同じだろう。

退所したい、仕事したい、地元に帰りたい、パートナーと会いたい。実はこれ、今すぐにでも叶うことをわかっているだろうか。問題はその後。

僕はこれまで、いろんなギャンブラーと出会ってきた中で唯一共通するものがあると思っている。それはこういう事だ。

 

時間軸が欠如している、または時間軸の見積もりが甘い。

ギャンブルと共に一時的に荒廃した人となりが、ある日突然改善するわけがない。生活を取り戻したとて、それはあくまで施設内での適応に他ならない。

 

何かを変えていくには時間が必要で、また何かを変えていくにはその取り組みが必要なのかもしれない。

 

と、まあハンカチを持ち歩けない僕がいうのも何だけど皆んながどうなっていくのか楽しみだ。

 

さてcobyplan2024始まりました。

 

 

連載15人目!

2024/01/10

今日はある日地域の支援者と突然現れたマサ爺です。

 

ギャンブル依存症のマサじいです。

私は、8月に自身で引き起こした置き引きをした時の弁護士の方から、

地域定着センターに繋いで頂き、10月の初めに回復施設にお世話になることになりました。

私の年齢は、現在63歳です。過去を振り返りますと、22歳の時にある会社に就職をした後、

27歳の頃にギャンブル(主に競馬)を覚えました。

ギャンブルを始めた頃は、小遣いの範囲内であそび程度で楽しんでいました。

ある時、5万円の元手が30万円になったりとか何度か大きい金額を手にすることがありました。

小遣いの額を超えて銀行のカードローンやサラ金から借りて遊びの範疇を越えるような状態になって来ました。

さらに37歳から38歳の頃には、会社のお金に手をつけてまでもギャンブルを続けていました。

その時に心境は「これまでの負けを取り戻さなければいけない」という気持ちでいっぱいでかける金額が

倍々ゲームのように大きくなってきて気づいた時には会社のお金を横領した金額が1000万円近くに膨れ上がっていました。

しばらくして発覚して、その横領したお金は父と親族で埋めてくれました。

会社は懲戒免職になりましたが、警察沙汰にはなりませんでした。

16年間ほど努めた会社を懲戒免職になった後は、アルバイトをしながら父に毎月5万円を返済していきながら

3年間ほどはギャンブルを辞めていました。4年目に入った頃、ちょっとしたきっかけでギャンブルをやってしまい、

2、3ヶ月ほど約束していた5万円を返すことができず、父に追及され、家を飛び出して車上生活が始まりました。

手持ちのお金もすぐになくなってしまい、車上荒らしや置き引きなどをして、その日暮らしをしていました。

時々、定職についたりアルバイトをしていましたが、心が荒れていて、せっかく数ヶ月続いた仕事も仕事先でトラブルを起こしたりして

辞めたりしていました。

少しの間、仕事をしては、またギャンブルをしてお金を無くし、犯罪に手を出す、と言ったことを20数年繰り返して来ました。

その間、家族、友人知人など多くの方々に迷惑をかけて来ました。その結果、お金も無くし、ひとりぼっちの状態になりました。

今年の10月初めに回復施設にお世話になってから約1ヶ月半が経ちました。

施設の方で、金銭管理と行動管理をしていただいているおかげでギャンブルは止まっています。

これからは回復施設の回復のためのプログラムに沿って1日1日を大切に過ごして少しずつゆっくりと時間をかけて依存症という病気に向き合っていこうと思います。

施設の中では、ひとりぼっちではなく私と同じような体験をされた方々がたくさんいます。

ミーティングの中でいろいろな話を聞かせて頂いて逆に、仲間の方に私の話をきいて頂いて心が安らいでいます。

「ひとりぼっちじゃないんだ」という気持ちで、1日1日を楽しく、前向きに回復のためのプログラムに取り組んでいこうと思っています。

ありがとうございました。

連載14人目!

2024/01/03

連載が止まっている間に年が明けてしまいました。

我々とはよろしくしないほうが良いに決まっていますが今年も言わせてください。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、14人目。

カイです。あまり自己主張しませんが実は熱いものをシンには持っているカイです。何かと気分を変えたいと考えているようですが、その度に壁にぶつかり、いよいよ気分を変えることの本質に直面している。

 

金髪ロン毛からの、パンダ金髪ロン毛に変わり、

新しく生まれ変わろうとしています。最近は病院メッセージなんかに出かけ、自分の体験談を語ってくれたりする。

さて今年はどうなるか。

 

初めまして。

ギャンブル依存症、買い物依存症のカイです。

施設に入所して8ヶ月弱になります。

入所したての頃は仲間と上手く付き合えるのだろうか?ギャンブルをしない生活ができるはずが無いと思っていて、色々な不安がありました。

8ヶ月弱が経ち仲間と日々楽しく生活が送れ、ギャンブルをしない生活ができています。

これも施設長はじめ職員の方々、仲間のおかげだと思っております。

この楽しいが当たり前に思う事なく1日1日の生活を大切に生活し、再び社会に出れるよう頑張っていきたいと思います。

 

 

‥ほら、冒険しない、当たり障りのない感じでしょ。

でも中身は違う。フットサルの試合で見せたやられたら、倍返しするイキの良さが本当のカイです。

連載13人目!

2023/11/15

13人目に突入。

今日は亀吉です。1年以上様々な関係機関と調整をしてきて入所されたかたです。

ギャンブルの問題以外に事故で障害が残ってしまい、文字を書くことが困難ですが頑張って書いてくれました。どのような形でギャンブル問題を解決していくのか、そして社会参加していくのか一緒に模索しています。プログラムやミーティングだけでは解決できない問題を一緒に考えているところです。

加筆修正することなく、転記します。

 

亀吉です。

とりまですね、ほんとうにさ、ここに来てさまだですね、一ヶ月とさ、三日位しかさまだですね時間がさ立って無いんですけどね。

とりまですね、本当にさ、マジでさ、何てさ言えばさ、良いんですかね。

ただですね間違いなくさ言える事がさ、本当にさマジでさ、ここにさ繋がってさマジで母親に感謝のさ気持ちしかないですね。

以上ですかね。

本当にさマジでさ。

 

 

ともに。

連載12人目!

2023/11/08

今回は、毎日同じ食事を摂って体型を維持しているヒデの登場です。水と火が怖くて、レクリェーションやプログラムでも一貫して避け続けています。年末来たのでそろそろ一年。

問題は共有していて、何かを変えようとしている。

 

もっと気楽に、

もっと人に頼れるようになれば、楽に生きていけるのに。

 

なんて簡単に言ってるけど委ねるって、実は結構難しいよな。

彼と付き合っているとそれを実感します。

委ねると言うのはある意味覚悟だし、楽になると言うの体験しないとわからない。

こんな時僕は、それが本当ならノーリスクなんだから賭けてみればいいのにと思ってしまう。

 

※写真を載せて無かったら、この写真を使ってくれと持ってきたので2023.11.10更新してます。

 

皆さん初めまして。ギャンブル依存症のヒデです。 私はコビープランにお世話になって10ヶ月が過ぎたところです。 私は過去3度ギャンブルに依存してしまい借金や他人・会社のお金に手を付けるなど、散々な事をしてきました。そして、自分の力ではどうにもならないと無力を認め、助けの手を差し伸べて下さったコビープランへの入所を決意しました。自分の病気でもあるギャンブル依存症はとても恐ろしい病気で、年月が経つにつれてどんどん悪化していきます。現在はそんな恐ろしい病気と向き合っているところです。 しかし、ただギャンブルを辞めていれば良いという問題でもなく、自分自身の性格上の欠点や取り組むべき課題などと日々戦いながら生活しております。 現在、仲間の人数がどんどん増えている事もあり、色々な人がいる中で自分自身の問題点がたくさん出てきます。そんな問題点が出る度に自問自答しながら回復に向けて一つ一つ課題をクリアしている状態です。 ですが、自分一人では解決できる問題ではないです。仲間の中で手本・参考になる仲間がいるので、同じ依存症という病気を持った仲間からも吸収する事がたくさんあります。 今後は、日々自分自身と向き合う事を忘れず、今まで迷惑を掛けてきた家族・恋人・友人に自分の出来る範囲で埋め合わせをしていきます。 まだまだ先は長いですが、この依存症という病気と常に向き合い、回復へと向かっていければと思っております。 長々と失礼致しました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

連載11人目!

2023/11/07

連載11人目です。

cobyplanのメンバーと言うか、OBというかそんな感じのユウダイです。彼と会ったのは2年半前かな。

初めは病気や特性にコントロールされまくっていて、勢いで施設を飛び出す事もあった。もちろん若いから勢いで何とかならないかなと本当に思った事もあったけど、最終的にはどうしていいかわからないから助けて欲しいと懇願し、施設の様々なプログラムを経て現在に至っている。

施設内のプログラムは終了したので退所し、地域で一人暮らしをしながら就労移行支援につながっている。週に一度のメンテナンスでデイケアに顔を出し、自助グループに参加をしながら就労目指して取り組んでいる。

 

実は知っている。

施設を出て、ホストでナンバー1になれなかったこと。

施設を出て、生きていくための金策で宝物の本を売ったが、タクシー代とギャンブルで目的地にさえ到着できなかったこと。

助けを求めた後は、苦手な事でも意欲的に取り組んでいたこと。

明日のことは、やっぱりわからないけど大きく成長し、人として信頼できるユウダイ。ではどうぞ。

 

初めまして、ユウダイです。

早いものでコビープランに入寮して3年になろうとしています。

繋がった当初は自分の状況も精神面もボロボロでどうにもならなかった事を覚えています。

たくさんの方の助けがあり、成長を促してくれる施設の仲間が周りにいてくれたおかげで、

厳しい毎日ではありましたが、なんとかここまでやってこれました。

前の自分と今の自分を比べると、落ち着きを得たり、考えが変わったりと

色々変化してると思います。

素直に繋がれてよかったと思います。

この場を持って、施設長、施設に繋げてくれた両親と病院の先生、

クリニックの先生、先行く仲間、仲間の方々、施設のスタッフ、エイサーチームの方々、

2年9ヶ月の施設生活で自分に関わってくれた全ての方々に向けて、

感謝の意を示したいと思います。どうも有り難う御座いました。

 

…かたいな。

ユウダイの優れているところは、文字では分からない。

悪ノリして、肛門ロケット花火や全裸大の字川飛び込みの写真を貼ろうか迷いましたが、こないだカミさんに時と場所を考えて生きるよう諭されたばかりなのでやめておきます。

 

連載10人目!

2023/11/03

トクスケは今日は休みなので、仲間たちと釣りに出かけています。

僕は結婚記念日なので休もうと思っていましたが、10人目の記事が送られてきました。

 

さて、今日はアスカです。

かれこれ1年の付き合いになります。遠方から助けを求めて佐賀に来られ、人生で初めてギャンブルの問題に取り組んでいます。理解が難しいかもしれませんが、安定した生活やトラブルのない生活に身を置くことが苦手で、無意識にリスクをとりに行く生活を送っていた様です。平凡な生活に慣れてきたこの頃。

どう変化していくか楽しみです。

 

初めまして、強迫的ギャンブラーのアスカと申します。

私は北の大地H海道から2022年9月に佐賀の土地に来ました。時の流れは早いもので、一年が過ぎました。

ギャンブルをヤメたくても自力では無理でしたので、初めて自ら助けて下さいとお願いをして、助けてもらいました。

今だに欲求が出て来て困ってますが、日々、仲間の中に居る事でなんとか止まっています。

自分は、1度でもギャンブルに手を出すと止らなくなるので、もう、やりたくないと思っていますが、、、

とにかく今は、今日一日やらないをモットーに日々の生活を送っています。

私の回復はまだ始まったばかりなので、一日一日を大切にしていきたいです。

 

 

連載9人目!

2023/11/01

企画者のトクスケは思った様に記事が集まらず、ストレスのため過食気味とのこと。

スタイルを気にしてダイエットしていたから、リバウンドだろうと思ったけど言わないことにした。食欲の秋だし。

 

さて、今日はウッチーです。

山梨遠征の時は運転手の僕の後ろでずっと起きていて話しかけてくれたり、みんなに面白い企画を提案してくれたり、どこかで回復に貪欲なところもあって、良いとこ一杯あるんだけど、それ以上にやらかしもある。そんなアンバランスなウッチー、どうぞ。

 

 

こんにちは、依存症のうっちです。

 施設で一番自由で一番迷惑をかけている人間ですが、少々のお時間お付き合い頂ければと思います。

15歳の冬に競馬を覚え18で上京し、20歳の誕生日の週にはサラ金から融資を受けました。もう8年前には依存症でした。

 大学では法学を専攻していましたが、国際海洋法や憲法など実学に乏しい学問を叩いていたからか、今でも大して役に立ちません(泣)

学生時代はアルバイト先では金銭の問題は起こしませんでしたが、私生活は散々なものでした。その後、順調には卒業せずやたら単位を取って、卒業しました。外資系の企業で一応マネジメントの仕事をしましたが私生活の金の問題で会社を退職。その後某インターネット関連の企業やベンチャーでフラフラする生活もしますが、すぐに終焉を迎えました。

 その頃には依存症の末期の症状でしたが否認の病の状態に陥っていました。その後は夜逃げの手伝い、夜職への金貸し(所謂闇金)などアングラな生活になり、知人とも疎遠になり、ちょうどその頃、障害者手帳を交付されてからは自分自身への強烈な劣等感と社会への恨みや妬みをギャンブルで発散させるようになり、何度も警察の面倒になるようになりました。全てがギャンブルで生活の全てがギャンブル中心になりました。

 実家を追い出されてからもそのようなことは続き、数度の自殺未遂と薬のオーバードーズなどで限界を迎え都内の精神病院に入院する事になりました。最初は保護室と呼ばれるトイレの扉も無い時間も分からない窓のない部屋に閉じ込められ、不安と孤独感を感じました。次に閉鎖病棟と呼ばれる病棟に移されましたが、1日1回看護師さんと外に散歩に連れて行ってもらい、少しの安堵感と売店などにも行けたので、ここで解毒をして生活を立て直そうと思い入院生活を送っていましたが、その後のカンファレンスで両親が自宅は引き払った事、施設に行くか一生入院をするか選べと言われ、絶望。その時リストカットを数回しました。精神病院に繋がってから底つきをしました。

 それから暫くすると別の病棟に移る事になり、今まで行けていた売店や散歩も行けなくなり、完全に2重扉の中の生活になりました。刑務所で懲役刑を科せられているのと同義の生活の中で生活費は底をつき洗濯も出来ず、精神が参ってしまい、死を覚悟しました。

 その後のカンファレンスの時に1年の入院か、九州の施設に繋がるか選べと主治医より選択を促され施設に入所をする事になるのですが、その時は何をするのかどうやって生活をするのかが分からず、不安感で寝れない日々が続きました。

 施設の職員がカンファレンスの1ヶ月後に私のことを迎えに来てもらい、桜が咲く前に入院し、退院した時は真夏の蝉の鳴く頃でした。佐賀に来る飛行機の中で、久々の外の世界を垣間見ることができ、感涙したことを今でも覚えています。

 佐賀空港から施設の寮に移動し寮で施設長に挨拶をして、少しの安堵感に包まれた私は4ヶ月間の入院でボサボサだった髪を整える為に散髪をさせて貰いました。その晩は拘禁反応?と呼ばれるもので一睡もできませんでした。

 生活に慣れた頃にはスリップ(依存行為の再発)が始まりました。去年の9月頃の話です。そこからは早いもので SIMカードを買いスマートフォンを手に入れ現金を湯水のように使いました。それが今年の2月まで続き、金が尽きて脱走しました。人間不信と自分自身に対する強烈な劣等感で放浪しました。

 自分の限界を認め、施設長に電話し東京の施設の職員に羽田まで送ってもらう際に12ステップについての話を伝えてくれました。一時間ほどの車内の会話でしたが、一番濃密な時間を過ごす事が出来ました。叶う事ならこの人にスポンサーをお願いしたい想いはその時から変わらずですが今でもお願いできずにいます。

 戻ってきてからは疎外感に苛まれる事があるのではないかなと思いましたが、そのようなことはなく施設の仲間もエイサーを教えてくださっている方も暖かく迎え入れて貰いました。暖かい気持ちに包まれる自分がいました。脱走するときもエイサーで出会った方が作ってくれた赤い太鼓のキーホルダーを握りしめて脱走した自分ですが、その集団にいる事が好きなんだなと実感しました。本当にその団体の方には感謝しています。

 その後も細かいやらかしは続きますが、周りの仲間の強力な支えとエイサーで出会った人との縁でしっかりと人としての道を歩んでいこうと思います。

 脱走後も受け入れてくれた施設長、戻る決心をさせてくれた赤い太鼓、そしていつも支えてくれる仲間に感謝を最後に綴り、筆を置きたいと思います。有り難う御座いました。

 

 

連載8人目!

2023/10/31

連載が続いてます。

今日は土の番の様です。彼は熱い男で、一度思い立つとその熱がなかなか冷めない男です。熱すぎて、言葉が必要ではない生き方をしていたようです。佐賀に来てからも、ミーティングに参加できない。思いが強く、熱いもんだから人の話は何言っているかわからなかったし、自分の話も出来なかった男です。

ではいってみましょう。

注意:本人の変化を知ってもらうために、貰った原稿をそのまま転載します。少し読みにくいところもありますが、僕としてはこんなに考えをまとめることができる様になったんだ。また、それを文章にすることができる様になったんだと驚いているからです。

 

 

ギャンブル依存症の土です。

僕は今年3月に施設に繋がりました。主にやってたギャンブルは ボートレース、パチンコです。自分の金では抑えきれないぐらいひどいぐらい依存症でした。たくさんの人から嘘をつき お金を借り そのお金でギャンブルをしてました。 借りまくって親に肩代わりしてもらってもまた借り 消費者金融にお金を返済しても またその返済した日にまた出して ギャンブルをしてました。 ほんとうに今考えると 迷惑かけまくった思うし アホな事してたな思います。異常な僕をすぐ気づいたのは親でした。 親はギャマノンに繋がり 何回も休みの日に通い 僕を話し聞きに行けとなんども 言ってきたり紙わたされたりされてましたが 僕は行きませんでした。 僕は借金を繰り返すうちに ほんまに先がみえなくなり どうしようもなくなって 一回話し聞きにいきました。 そこにはたくさんの依存症の方がいて 自分の出来事を話すのですがまるで自分の話しをされてるかのように 同じ事をたくさんしてる方がいました やっとそこで強迫的ギャンブラーって気づきました。 そっから僕は帰る家もなかったので 次の日に施設行くって決まりました。最初はいくって胸はっていましたが自由がなくなる 施設にはいると何もできないってなり 次の日にいきませんでした。 でも親から ホームレスになるか縁切るか言われて悩んだ結果いく事を決意しました。 決意してから新幹線にのり 九州の施設に繋がりました。 初めての場所で駅着いて改札口通ると 真面目な方1人とチャラい人が1人入る思いました まさかの施設長と職員のかたでした。 僕はそのまま施設にむかい生活を送りました でも心を開けずやる気もなく気持ちに嘘をついて 2日後に施設を出ました 出てからすぐに地元に帰り 帰っても親ともらまともに会話もできず施設にかえれと何度もいわれ また考えて2回目戻りました 2回目戻ってまた10何日かで変わりたい気持ちが弱くまた2回目でました。 2回目の時はある駅で約4時間近く座って考えて 出たその日の終電でまた施設がある ところに戻りました。 僕はその4時間で今まで以上人生で考えた事ないぐらい たくさん考えました。 その結果やった事ない事をしよう 頑張って周りを見返してやろうと思い。 戻ってきてからエイサーを初めました。 エイサーの初めての本番は 涙流しちゃいましたね、笑 クリーンも徐々に継続していき 8月には自助グループで役割をもつことになりました。 自分からやってみたいと仲間にいいました。 何かを継続させるってのを学べるかなと思いする事にしました。 仕事も継続できなかった自分 今後のために何かを学べるだろうと思い決めました。 この7ヶ月間の間でたくさんの 職員さん、仲間には 色々な事を気づかせてくれました。 ほんとうに今では 繋がってよかったって感謝してます 1番は僕をここに繋げてくれた 親にはものすごく感謝してます。 もう人を困らせる人生を送りたくないです。 そのためには 正直 心を開く やる気 この3つを忘れずに今日1日を頑張っていきたいと思います! 長い文書でしたが見てくださりありがとうございました! byツッチー

 

今のご時世、外見の描写で例えると怒られてしまいそうですが、

サンシャ○ン池○と似てるのです。熱さというか、熱さというか、熱さが。

あ、ヘアバンドもです。

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