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不躾をお許しださいませ

2023/03/08

不躾なんて言葉を使うと、半分親のせいにするみたいでこれまた育ちの悪さを露呈してしまいますが、さまざまな方々から献品、本当に感謝しております。都度ご挨拶したいのですが、現場の忙しさに託けてご連絡できずにいます。

できるだけ施設自体も自立して、その中で困っている人たちへの支援をしていきたいと考えていますが、献品は非常にありがたいことです。

しかしながら、現金は不要です。

その理由はモノの価値が変わるからです。

僕は経済学者ではないので、決して物価のことを話しているわけではありません。

献品してくださる方々の思いをそのまま施設利用者に届けたいからなのですが、現金だと使われ方が不明瞭になってしまいます。いただいたものを今必要な物に変えて届けることになってしまいます。

 

お金は汎用的で便利なのですが、今施設利用者にとって伝えたいこととは相反するのです。不経済的でももっと大事なことがあります。加えて、経済観念を極めたものがギャンブラーでもあるのだろうと僕は思っています。

 

私見です。

パチンコで勝った額が、どう考えてもサラリーマンの日当を超える。パチスロの1日の勝ち分が競馬1レースの数分で手に入る。競馬の数分で手に入るものが¨。

 

彼らはそんな世界で生きてきました。

僕はCOBYPLANで非効率的(不経済)な作業の中に関わっている人たちとその時間、思い、それらがわかる人たちに成長してほしいと思いながら日々付き合っています。

 

だから僕は遠方からお米や野菜が届くたびに、これが佐賀までどうやって届いたのか事あるごとにみんなに伝えています。

しつこすぎて僕が昔嫌だったおじさんの説教みたいになっていないか心配ですが。

 

まとめます!

いつも献品、献金ありがとうございます!

責任持って施設の利用者みんなに届けます!

飛行機ではなく新幹線、そして富士山

2023/02/26

新幹線の中から見る富士。

何度見てもすごいなと思う。今でこそこっちの見え方だけど、

20代の頃は違う見え方だった。

一緒に上京したパートナーに見限られた僕は、無力を感じ、肢体不自由児の時の支援に携わることになったのだ。

僕の生涯の恩師でもある江尻先生に誘われた、脳性麻痺の子供達を山中湖(山梨)に数日連れていくというプロジェクトだ。

その時の ふくし の視点は、その後僕が医療の道に進んでからもずっと生き続けている。

 

 

山梨側から見る富士と、新幹線から見る富士は全く別物。

僕は当時チャラく、いや今でもチャラいのだけれども、それを面白がった朝日新聞の記者が行動障がいのある子供に寄り添い山中湖のほとりで富士山を眺める僕とその子の姿を激写し記事にしてくれた。

その記事、今でも探せばあるのだろうか。

 

誰かを敵にしてしまいそうだが、僕は山梨から見た富士が好きだ。

好きや嫌いは理屈じゃないから仕方がない。

 

ん?

 

 

 

そうそう、富士は山梨か静岡かという話だ。

富士山を上から見ることができる人たちもいることをご存知だろうか。いや、大抵上から見ることができる人たちが多いだろう。

でも僕に限っては、それは難しい。知っての通り飛行機ほど危険な乗り物はないと考えている故上から見ることは難しいのだ。

 

本題に入る。

僕は今東京から帰るための新幹線の中だ。

実はこれまで、飛行機に乗らないのは怖いからだと思っていた。あんな鉄の塊が空を飛べる理屈がわからないし、わかったところでどこの誰だかわからない人間に命を預けるわけにはいかない、ましてや事故の確率が極めて低いとはいえ、何かあった時の致死率は極めて高いのは自明ではないか。そもそもそんなに命懸けで移動をする必要性があるのかという至極真っ当な理由?だと思っていた。

 

ところが、僕の飛行機嫌いの理由が実は違うのではないかという一つの仮説に辿り着いたんだ。

怖いからじゃなくて、上から見るのが嫌なんじゃないかというものだ。

 

一つの事象をどこから見るかで見え方は違うというのは、

理屈抜きに当然のこと。

 

僕は物事を上から見たくない理由で飛行機が嫌いなんだ。

今日ぼくは東京に、近藤恒雄氏のメモリアルイベントに参加するためにきた。その帰りだからこその気づきかもしれない。近藤さんは俯瞰する様なことは決してしなかった。富士の例えで言えば、どっちの味方も正しい、その方向からの見え方が必要な人にちゃんと届くことが大事というものだった様に思う。上から見ると遠い、俯瞰はいらない。ともに、そしてそばでこそ、といったものを実践していたのが近藤さんだった気がする。

 

よし、飛行機の問題が解決した。

飛行機が怖いというのはもうやめよう。

 

髪をかきあげながら、まだこの問いに答えなければならないのかと心の中で呟きつつ、ふー、物事を上から見るのが嫌いなんで飛行機に乗るのをやめたんだって言おう。

ついでに地に足をつけ、そばにいたいんだ!とボソっと言おう。

飛行機が怖いなんて悟られない様に。

そんなのは嫌だ

2023/02/20

施設の利用料を支払わずに障害年金や保護費を出金してそのまま逃げた男がいたとしよう。

 

身分証や貴重品なんかもやりっぱなしで逃げている事が多いだろう。

では、彼らが本当にカネがあればどうにかなるかと言ったら、実はそうでもない。

 

結局、身分を証明できずに何もできなかったと無一文で戻ってくる。

ならば僕は身分証や貴重品を本人に渡して、自分のサイズを証明しろともう一度トライさせる。腹を空かせてるのであればご飯くらいは食べさせるかもしれない。

 

でも、

自分の力を知る時に誰かのせいに、何かのせいにしている人は一生そのままだ。問題が自分の外にある。親ガー、カネガー、タイミングガー、施設ガー、仲間ガー‥。

 

僕はその昔、自分の人生はギャンブラーの父や共依存の母のせいで狂ってしまった。高校への進学時に僕の望んだ道を選択できたのなら、こんな人生歩んでなかった。そう思って生きてきた時代があった。もちろん今でも、うまくいかない事があって苦しくなればその感覚だけが蘇る時もある。

 

でもそんなの嫌だ。

いつでもそれは、僕に与えられたものだし、僕が選んだ事なんだ。

誰かに支配されて生きる人生なんて送りたくない。

 

話を戻そう。

何のために戻ってきたのか、助けてくれる友人がいるんじゃないのか、仮想通貨を現金化できるんじゃないのか、仕事できるんじゃないのか。

その時彼が言った施設で無くても十分やって行ける理由をそのまま本人に伝えて、必要な物を全て返却して追い返した。

最後に名刺を渡して、いよいよの時は直通の電話だから時間は気にせずかけてよい。助けが必要になれば連絡する様伝えた。

 

数日後、所沢まで行った彼は多くの人を巻き込んで佐賀に戻る。遅延の影響で長らく空港で待ちぼうけ。

 

あなたの人生だから、僕には何も出来ないかもしれないけど、

一生付き合う覚悟はある。

ただ、ひとつ言えることは、

これが今のあなたの実力だ。

 

そんな感じのことを伝えた。

 

ただで帰って来るのはみっともないと思ったのかよくわからないけど、ご飯を食べさせ、持ち物検査の際には写真のものが出てきた。

入所して半年、彼のギャンブルは施設の中でさえもうまくコントロールできない。うそをついたり、それらしい言葉を並べたとて、彼は競艇のために金策をやっていただけなのだ。

 

今日から始めたらいい。

 

施設に戻った彼はおかえりと仲間たちに声をかけられ、その後あれこれいじられていた。

照れくさそうに出す声の音質はまるで子供かよ。

役割の終わった僕はさっさとうちに帰ったが、時刻は23:30だった。

和歌山ラーメンと早なれ鮨

2023/01/26

今関西から帰りの新幹線の中にいる。

和歌山での滞在時間は、

何十年ぶりかよく知らないけど、

大寒波の影響でなのか知らないけど、

3時間半のはずが2時間ちょっとになってしまった。

 

目覚まし通り起きたのは5:25だった。6:10のタクシーをお願いしていたので、何となく35分あれば準備できるだろうと思ったんだと思う。

パッと目を覚まし、携帯の目覚ましを止める頃には起き上がって歩き始めていた。

 

そう今日僕は和歌山ラーメンを食べるんだ。

施設に来て2年半が経った彼と今度は牛カツではなく和歌山ラーメンを食べる。どうやら和歌山には早なれ鮨などと呼ばれる名物があるという。鯖のお寿司みたいなのだが。僕は呑気に何が食べられるかななんて言っているが、実はとても大事な瞬間を迎えようとしているのだ。

 

裁判後に釈放されて、いき場所もなく仕方なく施設に繋がった彼がリハビリを続け、依存症からの回復のプログラム12ステップにおける8〜9(埋め合わせと呼ばれる)を行うために和歌山入りしているのだ。

 

正直この場面における僕の出番などない。スポンサーと呼ばれる回復者と進めてきた過程の一つの取り組みなわけで、僕が水を刺すわけにはいかない。本人の力であり、その仲間たちの力だからだ。

 

僕はご家族へ挨拶し、これまでの取り組みを伝え、またギャンブラー本人を支えてくれた行政へご挨拶し、あとはよろしくと今(新幹線)に至る。

 

僕は母と子の久しぶりの再会を横目に、帰りの電車は時刻通りいくのだろうかと駅に向かう。逆に彼はこれから3日間埋め合わせの旅となる。

もしかすると、埋め合わせで勇気づけられることもあるだろう。

もしかすると、埋め合わせで傷つくこともあるだろう。

でも大丈夫!同じ問題を抱え、乗り越えた仲間たちがいる。

これまで一緒に取り組んできたスポンサーがいる。

相手の対応に感動したならスポンサーに電話したらいい。

傷ついたのならスポンサーに電話したらいい。

 

僕はそばにいる。

 

※和歌山ラーメンは普通だった。早なれ鮨より、五島の鬼鯖寿司が美味しい!!

(コラァー!!

かきぞめ2023

2023/01/17

僕たちは自由(jazz)だ!

自由だが大きな枠組みをはみ出さない、はみ出しても戻って辻褄を合わせる。

みんなの一年がそうなるよう僕は書き初めてみた。

 

こうやってみんなで書いてみると、

表現ってのは、本当に面白くて見たものの妄想を膨らませてしまう。

つい、、手が伸びてしまったのだろう。それはあなたのものですか。

神は細部に宿る、、うんすぐそこにいる。あなたは信じてますか。

瞬(き)、、そう人生は多分そうなんだ。だからこそ今だと思いませんか。

再起、、うんもう始まってる。あなたはこれまでも起きていたとは思うよ。行動が違ったのかもしれない。

変化、、うんしてる。支えあっての変化である事は知ってるでしょ。

愛、、そうあなたが行動で示しているそのものだよ。僕も見習うよ。

勇往邁進、、多分往が住になってるのはそうじゃないという意味なんでしょ。目標にひたすら向かって何かを達成するのはカッコいいけど僕はそうなってない。そして、それで良いんだと思う。

磨く、、ピカピカになるまで磨いてください。そしてそれがあなたらしくあります様に。

人、、そう金八ふうに言えば1人は人とならず。支えられてるんだよね。

自立、、自ら立つ、ために助けが必要。だよ、きっと。

絆、、人と人の繋がりって意味もあるし、人の行動をつなぎ止めるための縄という意味もあるんだってよ。僕は縄にはなりたくない。あなたもjazzで行こう。薄いのが気になるけど、ニヤリ。

再出発、、行ってらっしゃい!いけるいける!

ヤル気、、うん。出すよ僕も。でも疲れたら休みたい。

歩く、、そう歩いたほうがいい。そして食べるものも!血糖値を下げてこう!

 

春にかけてマイペースで行きたい。

そうしないと春先もたない。

新年を迎えました

2023/01/06

怒涛の年末をやり過ごし、

何とか新しい年を迎えた。

 

この絵を見て、

誰が職員で、

誰が施設入所者で、

誰が社会復帰したOBなのかわかる人がいるだろうか。

 

いや待て、ここに写ってる人たちはcobyplanと関係ある人たちかどうかも本当のところは分からない。

 

僕たちが生きているこの世界は、これだけ科学が発展しようとも、

実は不確実性の連続なのかもしれない。(社会学者風)

 

だからこそ、信じる力が必要なんだ。

 

振る舞った刺身は前日僕が釣り上げたカンパチだ。

伝えたからには皆んなそれを信じている、はず!

 

2022クリスマス会

2022/12/20

クリスマス会。

恒例の寸劇はYDの物語。

前日来たばかりのtbsも、主役の親父さん役として名演技。

 

つい先日まで、ギャンブルやら借金やらでどこから手をつけたらいいのか分からない状況だったのに。

ようこそ!何も状況は変わってないけど、ここには仲間がいる。

本番前に組んだエンジンの様に、信じて身を任せてみよう。

ありがたい

2022/12/19

職員の急な欠員のため、一緒にお仕事していただく方を1名募集した。ご応募いただいた皆様に感謝しています。

お時間とっていただき、本当にありがとうございました。

新調したブラックスーツ

2022/11/24

佐賀に来てからの恩人であり身内でもある大事な人が突然この世を去った。カミさんの実家に盆正月帰省すること以外縁もゆかりもない佐賀の地で、新しい生活を始める僕に寄り添ってくれたのは彼だった。

当時流行っていたオンラインゲームに誘われ、僕以外は地元の仲間内だったのだが、毎晩遅くまで通話しながらオンライン上の知らない誰かと銃撃戦を繰り広げる。

オンラインより、実際に銃撃戦をやろうということになり、各自お気に入りのガンを購入し、その調整をああでもないこうでもないと言いながらやり、結局は本場のサバゲー会場で戦いもした。

別にガンだけが彼との付き合いではない。

佐賀で発掘した美味しいお店には一緒に行った。

便利なキャンプ道具が見つかればそれを自慢しあった。

うちの愛犬ピースを何故かラッキーと呼び、手懐けた。

バイクで一緒に阿蘇山登った。

佐賀の有名な峠を一緒に走り抜けた。僕のバイクはギアチェンジで片手運転になってしまう峠向けのバイクじゃないのに。

言えばキリがないけど、佐賀での新生活はあなたのおかげでスタートすることができた。ありがとう。

 

父親はあなた以外いないけど、1人残った愛娘はうちの家族として一緒に生活することにした。

 

僕にできる事を、やってみようと思う。

 

そしてこれは、

いつでも、

どこでも、

誰とでも、

僕の生き方の核となっている部分なので、

「よしくんの世話にはならんでよか」とか言わないでよ。

 

本当にお世話になりました。

ありがとう。

活躍!

2022/10/23

中国地方への出張となったので、これはと思い連絡した。

幸せな事に半年前に退所して、社会復帰したRと会うことができた。

彼は僕と同い年で、ギャンブル後の横領で留置され、家族に連れられて不本意のまま施設入所した人だった。

 

1ヶ月ほど前に連絡して、社会復帰したのであれば、飯でも奢ってくれとジャイアンばりに彼に迫り、その後連絡も取らずに当日約束の場所に到着すると改札の向こうに少し痩せたRがいた。

 

僕は今、PTAの役員を降りた事に託けて髪の毛がチャラい事になっているのだが、それにちゃんと反応してくれお迎えしてくれた。

 

とりあえず、タバコの吸えない数時間を解消するために一緒にタバコを吸い、その後店に向かう。

 

例の奢ってくれる店だ。

入店し、僕は彼と同じメニューを頼んだ。

 

2時間ほど近況を語り合い、彼から聞いた、社会復帰も大変だが幸せを感じることも、大変なことも施設生活以上に多い。だからこそ頑張れなくなったら俺には施設があるという言葉を聞いて、一緒に過ごした時間の意味を感じた。

とうぜん、施設の職員と利用者という関係では無いので食事代は僕が支払った。

 

その後、車で片道2時間の僕の目的地に車で送ってくれた。山陰道中、いくつかの観光スポットへ寄ってくれるような話を運転手はしていたけれども、僕にとっては彼との時間の方が大切だと思ったので全て拒否した。

パートナーのこと、子供たちのこと、仕事のこと、自分のこと、

一通り話して目的地に到着した。

エントランスで写真を撮り、僕はホテルに彼は車に、

振り返らず、またねとお別れした。

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