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それなりの関係③

2020/07/09

施設であるトラブルがあった。

いつも通りみんなで解決してもらったのだが、

その後も何となく腑に落ちてないようで、

緊張感だけが残っている。

これは仕方がない。

平凡な人達は、それでもそれなりの人間関係を築けるのかもしれないが彼らはそうもいかない。

相手の不穏な様子に何をしでかすか分からない。そう思う人もいて、そんな彼が僕に話す事は暴力沙汰になってもよいかという話。

これを言いながら別に暴力を正当化しようとしているわけではない事は重々承知している。

そんな時僕は、暴力は絶対にダメだとは言わない。

ならば依存症だし暴力くらい仕方ないと思っているかといえばそれも違う。

施設の中での暴力は許さない。表(施設の外)でやれと言う。表でやればお互いに自分の責任を自分で取らなければいけなくなる。当事者が執行猶予中にも関わらず、もしかすると通りがかりの人が警察を呼ぶかもしれない。施設のスタッフが止めに入らなければ大怪我をするかもしれない。怪我をすればやはり警察沙汰になるかもしれない。はたまた下校中の小学生に大の大人がと笑われるかもしれない。

外でやれは、これらの覚悟があるのかと言う事を聞いていることでもある。言い方を変えれば施設の中を聖域にして欲しくないと言うことである。失敗する権利が保障されている事と、失敗の責任を取らなくていい事は同じではない。

 

暴力が絶対に良くないことなんてのは誰でも分かってる。

 

暴力って実は怖いし、悲しいもの。

そう言える様に僕はなりたい。

それなりの関係②

2020/07/06

施設であるトラブルがあった。

いつも通りみんなで解決してもらったのだが、

その後も何となく腑に落ちてないようで、

緊張感だけが残っている。

これは仕方がない。

平凡な人達は、それでもそれなりの人間関係を築けるのかもしれないが彼らはそうもいかない。

 

それなりの関係を築けない別の人は、仲間を巻き込んで排除しようとする。あの妄想癖は何をしでかすか分からない。入院が必要ではないか?集団生活は難しいのではないか?とまあこうなる訳である。

だから僕は、相手のことは変えられないから自分のことで変えられることはないかと伝える。

大抵心当たりがあるもの。

 

それを指摘すれば、ギャンブル依存の治療のために来ているのであって人とのコミュニケーションを改善するためではないと、問題の本質までも排除してしまう。これも一つのパターン。

人とのコミュニケーションの中にこそ、自分の誤った考え方を多く見ることができる。考え方の変容が無ければ行動の変容はあり得ない。排除はするな。不快にもつきあえ。ギャンブルがやめられないのは原因ではなく症状だ。

 

 

それなりの関係①

2020/07/05

施設であるトラブルがあった。

いつも通りみんなで解決してもらったのだが、

その後も何となく腑に落ちてないようで、

緊張感だけが残っている。

これは仕方がない。

平凡な人達は、それでもそれなりの人間関係を築けるのかもしれないが彼らはそうもいかない。

 

それなりの関係を築けないものだから、距離とって1人の頭でグルグル考え妄想的になる人がいる。すると、あの時のアレももしかしてと繋がっていき、終いにはあの野郎絶対許さない!といつものパターンに。

だから僕は、1人の頭で考えてないで話せばいいじゃないかと当たり前のことを言う。ついでに怒りはギャンブル脳から出る欲求の指令ですと決まり文句を伝える。

まあ、すぐには問題が解決しない事を知る良い機会。

かまをかける

2020/06/08

5台目のスマートフォンの預かり台帳にサインをしてもらったのは今日の午後だった。

僕にとっては通常のやりとり。

施設には、

やめられない人しかいない。

しかし、やめられない人がみんな必ずしも同じかといえばそうではない。

やめられない人の中には、

①やめられないけどやめたい人、

②やめられないけどやめたくない人、

③やめられないけどもう大丈夫と思考ストップした人、

主にこの3パターンで形成されているような気がする。

 

僕がなぜ①の人だけ選んで入所してもらわないかといえば、それは①から③は流動的だからだ。

どの人にもやめる権利もやめない権利もある。

そう考えれば、僕が彼らにやめさせる関わりを取らない理由がわかってもらえるだろうか。

とはいえ、施設には最低限のルールがあってそれを守らない場合にはそれなりの対応を取る。

 

 

さて本題に戻る。

普段から利用者の親身になって考え関わってくれている職員から、スマートフォンを預かった出来事に関して「かまをかけたのですか?」と質問された。

これはとても大事なことなので真面目にレスした。

かまをかけるようなことを利用者と職員間で行っては絶対にならないと思う。

かまをかけるとは、ひっかけるということ。もう少し極端に言えばだますということ。

 

依存症からの回復には、信じることや正直になるということがとても大事な要素だという。

これを職員がやるというのはどうだろうか。

 

だからこそ、僕が指摘をするときは駆け引きではない。

指摘するということはうまくやれてない(ルール違反以上に何か生活に支障が出ている)事実を目にしている、つまりそれ以上はやめようというメッセージでもある。

 

5台目のスマートフォンに4000円、そのスマートフォンを利用してやったギャンブル10000円ほど。

やめられない。できればやめたくない。

それを共有した今日の午後。

 

 

それでも彼はここにいる。

順番を間違ってはならない

2020/05/29

ある人に言わせてみれば、依存症とは順番が変わってしまう病気だという。

それはこういうことだ。

ギャンブルを娯楽と考えられる一般的な人たちは、仕事や学業、家庭などを顧みずパチンコや競馬などを楽しむことはない。ところが一部の依存症と呼ばれる人たちは、そのコントロール障害に陥っているために、何よりも先にギャンブルをやる。そしてやるためには手段を択ばなくなっていく。

 

なので逆に言えば、そこからの回復はやるやらないということもそうかもしれないが、

順番を間違えないようになるということでもあるのかなと思っている。

 

 

さて、この順番に関しては何もギャンブラー本人だけの問題だけではない。

その周りの人たちも考えておかなければならない。

特に本人が作った負債に関すること。

司法がらみであっても、安直に家族に尻拭いさせるべきではない。これをやると困ったときに家族はどうにかしてくれると本人は勘違いする。

だけならともかく、周りの人たちも勘違いする。

あの人には面倒を見てくれる家族がいるから、家族の力で社会復帰させなければならない。

それが家族だ。と、こうなるわけである。家族が病気を治せるわけがない。

 

まとめると負債の埋め合わせは、先にしても仕方がない。

また負債を抱えられる状態になるだけ。

埋め合わせは、本人がやらなければならない。

お願いします。順番です。

コロナ10万円とぼくたち

2020/05/16

何で俺だけ?と怒る人がいる。

そしてこれは特別なことではなく、よくある事でもある。

この質問に、僕は3つの回答をする。

 

①あなたは確かによくやっている。(これは嘘ではない)

②あなたには深刻でも僕はそう捉えていない。(この状況がずっと続くわけではないのでやり過ごすことも必要なことがある)

③あなたが出来る事をすればいい。相手を変えたいのか、自分が変えられることはあるのか。

 

彼の怒りを受け止めながら、僕はこれらを伝える。

そして、既出の彼の答えを尊重する。

10万円を持って彼は1人で生きていく。

 

 

 

と言うところが彼の覚悟だろうけど、

そんな難しい事言わないで、困ったことがあったら連絡するといい。いつでも出来ることはやろう。

 

 

自分だけの連絡手段が欲しい。

2020/03/24

いつもリュックを肌身離さず持ち込んでいるA君がいて、多分スマホ持ち込んだんだろうなと放置してた。

どうせそのうち問題になるだろうし、上手にやり切れることはないだろう。せいぜいスマホ使って人に送金してもらうか、

ネットで競輪の車券買うくらいかなぁ。

ま、その時に対応すればいいかと。

 

そしてその時はすぐにやってきてしまった。

映画プログラムの暗闇の中で、壁側に大事においてあるリュックの中身を稲川淳二顔負けの表情でのぞき込むA君。

    

顔だけが光っているので、突っ込まないわけにも行かず。

「それもってこっち来い。」

「バッグの中身だしてくれ。」

そう伝えて僕は仁王立ち。

 

そして顔を真っ赤にして出してきたのは分厚い本。

「ほう~。」

「まじでこれ出してるの?出すべきはこれじゃないよね。」(さすがに失笑)

少しごまかし切ろうとしたが、結局あきらめてでてきたのはこれ。

これで何をしていたのか問うとネットには繋がっていないので、繋がる場所に行って(無線wifiの解放ポイント)友人に連絡していたとのこと。

連絡先が分からないので、過去のネットバンキングの履歴から送金する形をとり、

そのついでにメッセージをのせられる。

何百円か残っている口座から、百円送金し金の無心のメッセージを送る。

ギャンブラーAが最後の力を振り絞ってbetしたのだ。

そしてその答えとして送金があるか否かを確認し、また別の人にbet。

ようはギャンブルやるためのギャンブルをやってたみたい。

 

結果としてはだれからも送金してもらえることはなく、

その前に僕にばれてしまうという結果だったようだ。彼にとってのこの口座はとても大事だったようで、

競輪の車券はこの口座からやり取りをするらしい。

今必要のないものなので、物品預かり帳に記録を残し丁重にお預かりをした。

 

そんなこんなのおもしろ話もつかの間。

プログラムの一環として、つけてもらっているお小遣い帳。

そこにまたしてもおもしろ話を発見。

携帯電話を持つ段階に来ていないA君がなんとpaypay支払で買い物をしているではないか。

確かにキャッシュレス還元を受けたい気持ちはわかる。

一応聞いてみよう。

(せいぜいコンビニや薬局のレジわきに捨てられてあるレシートを拾ったとか、スマホを中古で買ったとかそういう話だろうなぁ。)

 

すると、何のひねりもなくそのまんまのお話し。

しかしここからが面白い。順序が違うのだ。

こうやって領収書で裏金を作って、中古のスマホを買ったということなのだ。

それで頼みもしないのに出てきたのがこれ。

そんな努力までして、頑張って手に入れたスマホだったか今必要のないものなので、やはり物品預かり帳に記録を残し丁重にお預かりをした。

 

いいよいいよ。

こういうエネルギーのある人はベクトルの向きが変わるだけでいくらでもよくなる。

頑張れ。

ある日突然

2020/02/27

本当に病気だなぁと思う瞬間。

ついさっきまで日常会話をしていた人が、

あれれといなくなる。

 

ここ一か月で2名のメンバーがあれれと。

一人は退所の準備をしていた彼。

準備の一環で携帯電話の手続きに行ったその足でお金と貴重品をもって行かれた。

携帯電話の契約や難しい状況だったのでどうなったのか少し心配。

 

もう一人はストイックにやっていた彼。

ダウンを買うと貯金の20000円をもって帰らぬ人に。

ギャンブル依存症は生きるか死ぬかの病気だけれども、ここでの帰らぬ人とは言葉通り帰らなかったのほう。

実際は数日の放浪のあともどって正式に退所の手続き。

 

なんだろう。

ある日突然。そう、ある日突然。

 

ブログのぞいている入所者から、いなくなった人のことが書かれていないと指摘があったので、

書くついでにメッセージを伝えとく。

後片付け面倒くさいからやめてください。

優先順位

2020/01/12

ある日一通の郵便が届いた。

一緒に開封する。

そこには退職金23万円と書かれていた。

 

彼は2人の友人の返済に充てたいと話す。

施設の入所費は家族が支払っているので、順番を間違えない様僕は伝えた。

 

前にも書いたことがあるけれど、借金を一気に返したいのはギャンブルで大金をBETするのとたいして変わらない。

またギャンブルができるような状況を作りたいのだ。

 

そんなやりとりをしている最中、

借りている友人は家族を持っていて、その家庭のことを考えると払ってあげたいとのことなのだ。

 

それは気の毒に…。

ぜひ自分の身を削って金を貸してくれた彼にすぐ返済を…。

 

…。

……。

 

 

と、なるわけがない。

 

彼は、借金を返すために早く仕事をしたほうがいいのかなと言う気持ちになってしまうと続ける。

 

僕はこう伝える。

ここは、借金を返す場所ではない。

俺と駆け引きするのはやめてくれ。

仕事して借金返したいなら、いつでも出て行っていい。

 

さて、

23万円持って出て行くのか、

それとも自分を変えるためにここで踏ん張るのか。

 

優先順位を、間違えないように

周りにいる仲間としっかり相談すればいい。

 

大事な局面。

 

島原講演

2019/12/25

地方巡りの第二回。

長崎は島原へ。

先日佐賀DARCフォーラムの際に、時間がなくて話すことが出来なかったZと一緒に。

 

持ち時間半分の30分位を彼に喋ってもらう。

どう生きてきたのか、今どうなのかを自分の言葉で喋っていた。

いつも思う。

ノンフィクションの個人の物語は、最もわかりやすいし、最も心が動く。道中も往復4時間くらい話した。

貴重な話をありがとう。

 

宿泊した旅館で粋なポスター発見。

 

よくある刺青(タトゥー)の方は入浴ご遠慮下さい。

 

 

ではなく、

手術など体の傷あとをカバーする入浴着の着用にご理解を。

ですって。

刺青のある人、入浴着を来て、周囲に配慮して下さい。

刺青のない人、入浴着の人も入浴するので、よろしく。

 

こんな気の利いた言い回し、

ぜひ見習いたい。

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