COBYPLAN

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TOJISHAKENKYU

2018/07/30

TOJISHAKENKYU。

当事者研究。

の研究に今東京に向かってます。

 

 

もちろん新幹線で、笑。

普通、佐賀ー東京の移動は空路を使うことが多いはずなんだけど、僕の場合はそうはいかない。飛行機が怖いんだもの。告知なく揺れるところとか、何かあった時に逃げ道がないところとか、高いところとか、事故があったときの致死率とか挙げればきりがない。

そんな話をできる様になってからは、飛行機安全論者からの幾度とない安全理論を聞かされるのだけれども、全く耳には入ってこない。安全であることは、これまで数百回のフライトを経験しているにも関わらず実際に僕が今生きていることからも証明されている。結局のところ人間の感情っていうのは理屈じゃないところがあるのかもしれない。

 

 

「怖い」つながりで、ある時僕は自分の怖いについて調べてみたことがある。

僕の怖いものは、船、飛行機、地震、原子力発電所、戦争、不仲、病気、窒息…。とか。そしてこれらには共通するものがあって、自分で予測して対応できないというというところにたどり着く。例えば飛行機や船のちょっとした揺れについて、僕は激しく動揺するのだけど、この揺れという現象は車でも起こる。にもかかわらず、車の場合は与えられる情報が多い分、予測がつき対処が取れるので(厳密には対処が取れるのではなく、取れると思っている)怖いと感じることはない。

 

しばらくの間、僕のこの感覚は生きてきた環境に起因するものだろうと信じていた。つまりこういうことだ。依存症の人がいる家庭で育ってきた。機能不全の家族の中で子供の僕は、両親の抱えている問題以外の問題は彼らに察知される前に解決しておかなければならないと思っていた。だからいつも詳細な情報収集をして対処していた。ゆえに予測しない現象に対しては過度に怖いと感じてしまう様になってしまった。

しかし、この論理は確かにそうなのかもしれないけど、それだけでもない。生まれつきの特性がある。それが最近の僕の見聞だ。

これはなぜかって、次女の感性が全く僕そのものだから。

(もし、我が家があのときと同じ状況にあるとしたらトンデモ発言になってしまう…。その時はごめんよ、次女。)

そしてこの生まれつきという発見は僕にとっては物凄く価値があって、出所が僕自身なので悔やむところがなく、むしろ大事にしたいと思える。

 

僕は確かに怖がりで、そのことが原因で生きて行くことが時々困難になる。誰かを激しく支配して、人間関係がうまくいかなくなったり、他人を支配することを諦めた時には自分をあまりに注意深くみるために、過度な違和を感じ病気と関連づける。病院巡りをして検査結果が問題ないところまで確認すると、疲れ果てて自律神経のバランスを崩した状態となる。これがいつものパターン。

 

困ったことがあった時に、その原因をまず探してみる。

多分これが問題の切り分けなんだろう。症状と原因を分ける。

次に対処を考える。

その対処の実験を行い、効果を測定する。

概ねこの繰り返しがTOJISHAKENKYUの一連の流れの様だ。(原因にばかりあまりフォーカスしない)そしてこの繰り返しの中で、対処することばかりではなく、受け入れていくこともまた必要と感じる様になる。

 

さて、長くなったがこれから研究の研究に行ってきます。

今日から二日間。

今日はアスリートと宇宙飛行士の当事者研究。

明日は依存症の人たちの当事者研究。

もちろんCOBYPLANのTOJISHAKENKYUプログラム責任者の人も一緒です。

 

もはやモザイクは必要だったのか不明ですが、できるだけ顔出しNGでと言われておりますので笑。

ちなみにこの人。

僕にも勝る恐れの持ち主で、僕の隣の席で起こるあらゆる事象を想定し、

 

こうやって使っていた僕の横のコンセントの先に、

 

こういうものを取り付けて、電源をとっていました。

さすがです。

この辺りのマネージメント能力、見習わなければなりません。

絶対に嫌です。僕はもっとのんびり楽に生きたい笑。

 

泥仕合

2018/07/30

泥仕合であって、泥試合ではありません。

 

先日プチガタリンピックに。

佐賀には有明海の干潟があって、一度は経験してみたいと思っていたのでプログラムの時間を使って行ってきた。

 

これ履いてやります。

 

受付のお姉さんは手慣れたもんで、履きにくかったら水で濡らせばよかけんね〜(いいからね〜)と声をかけてくれた。

インストラクターの人から数分間のコーチがあって、いざガタスキーへ。

 

僕は波乗りするんだけれども、もちろんそれとは全然違った。

どうせなら波に乗りたいかな。

 

ギャンブル問題もそうだけど、大事な人との依存症問題ってどうしても泥仕合になりやすいからその前に何とかなるといいのだけれども。

ギャンブラーの家族やパートナーは家族の会やギャマノンがある。借金問題解決のための法律相談を専門家に依頼する前にそこに解決を求めるといいし、

ギャンブラー本人には我々の様な入所型リハビリ施設やGAがある。泥仕合にならない様早めに動いてみることをオススメしたい。

 

STAND BY MEとKYT

2018/07/24

7月21日22日と佐賀県の小川島というところに行ってきた。

佐賀に来てからというもの、これまで疎遠だった地域活動へ積極的に参加するようにしている。

東京というのは不思議なもので、いつでも仮住まい、もしくはホテル暮らしのような気持ちで生活できる。だからなのか、単に僕が不精だからなのかはわからないけどこれまではほとんど地域とは関わらずに生きてきた。

 

ここを終の棲家にっていう確固たる覚悟がそこにあるわけではないのだけれども、いつの間にか地域の体協、子供会、消防団と役割を担ってしまった。

それで今回の小川島という話に。

校区の中高学年の小学生を対象に、1泊2日でちょっとしたサバイバルをするという企画。子供会の主要な活動のようで総勢30名ほどの子供たちが参加をした。僕の住んでいる地域の子供会はボーイスカウト経験者が指導者の中に多いこともあるのか、この時代にあっては結構チャレンジャーな企画がいくつかある。足のつかない海で、泳ぐことにチャレンジできる。そして防波堤から飛び込むことができるというものだ。趣旨としては、安全な状況をどうしたら作り出すことができるのかということらしい。危ないから排除するというものとは全く考えの異なるものだ。

実際には次のような安全対策をとっていた。

①飛び込んだ時に海底に接触しない深さである事。

②飛び込む高さの場所に監視員を配置。

③海の中(飛び込むところの数メートル範囲内)に浮き輪をもった救助監視員を数名配置。

④足のつかない場所での泳ぎに自信のない人はライフジャケットを装着する。

⑤一人づつ行う。

⑥やるかどうかは本人たちの意思に基づく。

⑦事前にKYTと呼ばれる危険予知トレーニング?というものを行い、みんなで活動中のリスクとその回避方法をイメージしておく。

この時僕は海の中担当だったから、ちょっと寒かったというのが本心なんだけど、子供たちは本当に楽しそうだった。何かににチャレンジして、できるようになる場面に居合わせることができるのは本当に幸せだ。

で、下の写真はその帰り。

 

リアルSTAND BY ME。

小川島にはこの写真の様なロケーションが続く。

事故なく楽しい経験ができた。めでたしめでたし。

 

とまぁ僕のプライベートの話をしたいわけではない。

この安全な環境を作り出すという部分については考えてみたいところがあって、

COBYPLAN利用者とのルールの共有や管理体制に繋がるものがある。

僕はこの管理という言葉が嫌いなのだけれども、施設を運営していく上では避けては通れない話でもある。このご時世だから、我々運営側の身の安全を考えれば、リスクは取らないのが賢明なのかもしれない。ところが、権利という視点で考えたときに、小川島で海に飛び込む時と同じものが施設利用者にはあるわけで、僕がホームページの代表挨拶の中でも触れた様に、やはり回復の権利を奪ってはいけないのである。

 

だから僕がこのあたりの話を利用者とする時には、丁寧に説明したいと思っている。具体的に言えば、その中に時間の概念を必ず入れること。これは、前どうだったか、今どうか、この先どうしていくのか、ということ。

もう少し言えば、どこからがチャレンジなのかというところまで共有すべかもしれない。

 

命名COBYPLAN

2018/07/20

今日はCOBYPLANの名前の由来について。

普通こういうのはブログ初めました!みたいな時に書きそうなものだから、順序が逆だろうと自分でも思うのだけれども…。

 

…まあいいか。

 

はじめにCOBYPLANとはギャンブル等依存症からの回復を目指す入所施設である。ルールはシンプル。プログラムを受ける。利用できる人の性別は関係ない。年齢も関係ない。利用料を払う。嫌でも3ヶ月頑張ってもらう。それでも嫌なら信頼できる他の施設を紹介するというのがコンセプト。

 

COBYPLANのロゴ

 

COBYPLANは施設の名で、時間をかけて慎重に検討した。だってそうでしょ?だいたい皆聞くじゃない。何でその名前にしたの?って。僕の名前もいろんなところで聞かれる。名前の次にはどういう字を書くのかと続く。最後は素敵な名前ですねと結ばれる。

正直、僕は自分の名前を人に伝えるのが昔からあまり好きではない。名は体を表すというけども、それが僕には当てはまらない。そんなこと僕を知っている人なら誰でも納得する。

 

だから電話で問い合わせなんかをして、名前を聞かれた時には嫌味っぽく、山田は普通の山田です。義則はjustice(正義)の義、rule(規則)の則という。justiceにruleってどれだけ堅いんだ。いうまでもない事だけど、正義とは真逆の生活をしてきたのが僕だ。例えば誰か一人の命と引き換えに、世界を救えるとしてもだれかが名乗り出るのを待ってるだけの男だし、ドラえもんのキャラで言えば誰かに守られて偉そうに振る舞うことができるスネ夫の様な男である。つまるところ僕は、名前と自分なりにこじつけたその意味とのギャップを受け入れられない中学生みたいな男なのかもしれない。(全国の中学生の皆様、失礼しました。)こんなこと言うと、せっかく命名してくれた両親に申し訳ない気がしてきたのでこれくらいで。

 

 

softbankの孫さんってそう言えば正義さんだった。

 

 

 

 

…そうそう、COBYPLAN。

名は体を表す。

理念を象徴する造語にしようというのがスタート。

共通、共同という接頭語のCO。例えば活動すると言う意味のoperateという言葉があるけど、これにcoがついたものがcooperateで協力、協働となる。このCOには一緒にやってみようという意味がある。ここを訪問する位の依存症の人なら多分わかると思うけど、愛好家から依存症という一段階上のゾーンに行くと大抵孤独になる様だ。それが病気の特徴だし、残念ながら日本の社会の問題でもある。だからこそだれかと一緒に回復できる環境というのは大事な所かなと思う。

 

ただこの一緒にというのは間違えると、支配する事になりかねないから、個のペースも大事にしたいと思っていたところ、BYという素敵な言葉を思い出した。混沌とした予備校時代に英語の先生が教えてくれた大事な言葉だ。英語は情緒的に読むことができると教えてくれた先生だったのだが、BYについては確かビートルズのSTAND BY MEをどう訳すかという授業を通してだった気がする。授業の半分以上をこれに当てるのだから、受験対策としては不合格の先生なのかもしれない笑。ただ、今だに僕は鮮明に覚えているわけで、あの先生の授業を契機に英語好きになった学生は他にも多くいるのではないかと思う。本来学問とはそういうもんだと思うし、教育者の理念はそこにあって欲しいと思う。

さてSTAND BY MEの訳に戻る。

直訳では「そばにいて」となる。だがこれは少し違うというところから話が始まる。

同じ前置詞で「IN」「ON」「AT」との意味の違いを視覚的、情緒的に教えてくれる。(確か、実際にこれらのINやON、ATをSTANDの後に使うかどうかは別だがとは言っていた。)例えばINだとしたら私の中の支えになって欲しいという意味合いが強くなってくる。ONなら私を持ち上げて欲しいという意味合いが強くなってくる。ATだとしたら私そのものとして支えになって欲しいという意味合いが強くなる。同じように「そばにいて」と訳せる文章でもこれだけニュアンスが違う。曲がりなりにも僕は精神科医療の中で働いていたものだから、他との距離感については常に意識が高く、このニュアンスの違いには素直に感動した。前置詞だからか、前置きが長くなってしまったが(うまいこと言った。)BYに話を戻そう。BYはINやONやATはまた少しニュアンスが違う。

木の根元で、人が座って本を読んでいるとき、その木と人との距離がBYのイメージらしい。(日本語にするとブサイクになってしまうのだけど、寄り添いみたいな感じかな。)

 

 

この表現が実に気持ちがよくって、「そばにいて」も侵略されない感じ。だからこそ、STAND BY MEは「そばにいて」と訳すのではなく「そばにいるだけでいい」と訳せるとの事だった。

ずいぶん長い事BYについて話を続けてしまったが、「一緒にやってみようよ。そうじゃなくても構わない。それが難しければそばにいるだけでもいい。どっちにしたって一人じゃないんだからさ。」

…ティーネージャーに受ける洋楽の和訳、もしくはツンデレメイドの台詞みたいになってしまったけど、そういうPLAN(やり方)がCOBYPLANの由来なのです。

おお、やっとしめられた。

 

しかし名前も覚えていないあの先生、今どこで何をしているだろうか。

僕は挫折して医者にはなれなかったけれども、あの時の学びは今ここに生きています。

なんちゃって。

自分のお金

2018/07/17

お金って何だろう。

この命題について先日友人らと話していた。ある人は信用だという。

へぇー、うまい事言うなと思った。

確かに、普通の金貸しは返せる相手にしか貸さないしね。

 

ただこの論の展開でギャンブル依存症からの回復ができるかと言うと、当然そうではない。信用問題なんだからって言われても…ねぇ?

 

自分のお金つながりで、ギャンブラーと面白い話をしたので紹介したい。入寮者の1日の生活費は今の所2000円。(生活保護基準で設定しているのでいつまでこれが担保できるかは不明。)プログラム初期は金銭管理プログラムの一環で、第三者とお金の出し入れ、物品の購入を行う。そこで次の様な事が起こったのだ。前日残ったお金を見越して友人に金を借り、当日分の生活費と合わせて2000円以上の買い物をした。そして金銭管理をしてくれている人はどう処理したらいいのか迷ったと言うわけである。僕は1日2000円と30日60000円は違うと言う話をした。彼はこれは同じだと言う。この辺り、あまり議論しても仕方の無いところなので、金銭の自己管理になったところで自分のやり方は見つける様にとお願いした。

議論は無意味なので避けはしたが、実際にはこれは大きな違いがある。

ギャンブル依存症の人たちが巻き込まれるトラブルは自分の財布じゃ無いところの金銭を巡っておこるが大半だからだ。サラ金からお金を借りて整理したとか、破産したとかもこれらの部類に入るだろうし、その数は圧倒的に多いはずだけれども手元に資料がないので割愛する。代わりに公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会が出している資料によれば、1980年から2015年までにギャンブル等の理由で起こった事件の総数が378件。そのうち横領等企業犯罪が168件で全体の44%、強盗殺人等重大事件が98件で全体の26%となっている。実に70%の事件が自分の財布じゃないところの金銭を巡っておこっているのである。

だからこそ自分の財布に入っている現金で勝負(生活)することを大事にしたい。まずはここから。

 

こうやってお金の管理や考え方をブログ初回からバシバシ書いていくと、それこそギャンブル依存症支援の核に見えてしまいそうなのだが、そうでは決してないので訂正しておく。

それは支援の一部であって全てではない。

お金は4900円あります。信頼できるM先生が教えてくれた魔法の数字。その脇の本は最近ハマっているヨガの教材です。

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