自由を訴え、そのタイミングを自分の物差しだけで判断し、行動する時は大抵裏に隠されているものがある。
簡単に言えば、不正直。
施設で集団生活となれば、いろんな人がいる。
今日はある利用者と次のようなやりとりがあった。
「〇〇とうまくいかず、ストレスが溜まるので1人で散歩していいか?」
「1人で行動できるタイミングになれば、それもいい。
今はそれが出来ない訳だから、施設の他の仲間を誘って行ったらいい。」
「それをやると、その人に迷惑をかけてしまうことになる。」
「そういう時もあるかもな。そうとも限らないと思うけど。うまくいかずにストレスがたまる相手っていうのは社会に出た後もいるけど、そんな時どうするの?その本人と話してみたらどうだい?」
「それはできない。多分僕キレますもん。」
「そうか。ここはそういう事をトレーニングするところじゃないの?」
「社会に出てからはやれるので大丈夫です。それをここでやる必要はありません。」
「そうか。やれるかもな。やれない時もあるかもしれないけど。」
「僕、不思議に思っていたんですけど、〇〇さんはここに来て1ヶ月で1人行動出来るようになったと聞いたんですけど、何で僕はだめなんですか?」
「それは人それぞれ違う。」
「〇〇さんは信用していて、僕の事は信用してないじゃないですか!」
「どっちも人としては信頼してるよ。ただ、病気の症状に関しては信用していない。病気は自分でコントロールできるもんじゃないからね。」
「病気ってなんですか?僕はいつ1人で行動できるようになるんですか!?」
「まずは今日一日クリーン。病気の症状は不正直。佐賀に来て、何回ギャンブルやったかい?」
「2回です。」
「最後いつだい?」
「覚えてません。」
「一昨日の日曜日は?1人で出かけて数時間帰ってこなかった日」
「やってませんよ?」
「みなまで言わせるな。ギャンブルやる事は仕方ない。不正直さも仕方ない。ただ、ここまで言わせてるのだから嘘をつくな。」
(彼は日曜日に1円パチンコに行っている)
「めんどくさい、めんどくさい、もういいよ!」吐き捨ててどこかに行ってしまう。
捨て台詞を吐かれるというのは正直気持ちいいもんじゃない。
ましてや彼は今日、僕の新しい家族(愛犬)のためにと言ってなけなしの生活費の中から気の利いた物(犬のガム)を買ってきた。他に使いようのない物なので返すわけにもいかず、自分の回復のために金を使えと言ってデスクの上に飾られているのだけど、僕が1番嫌いな金や物で相手を支配するという行動に見えてしまって気持ちが悪い。
自分の行動に責任をとる。すぐにできなくてもいいから、ここで取り組む大事な事。直面化した時に、逃げてしまう事は仕方ない。ただその後過ちに気がついたら、それを認めて相手に伝えよう。
きっと出来るようになるよ。