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飛行機ではなく新幹線、そして富士山

2023/02/26

新幹線の中から見る富士。

何度見てもすごいなと思う。今でこそこっちの見え方だけど、

20代の頃は違う見え方だった。

一緒に上京したパートナーに見限られた僕は、無力を感じ、肢体不自由児の時の支援に携わることになったのだ。

僕の生涯の恩師でもある江尻先生に誘われた、脳性麻痺の子供達を山中湖(山梨)に数日連れていくというプロジェクトだ。

その時の ふくし の視点は、その後僕が医療の道に進んでからもずっと生き続けている。

 

 

山梨側から見る富士と、新幹線から見る富士は全く別物。

僕は当時チャラく、いや今でもチャラいのだけれども、それを面白がった朝日新聞の記者が行動障がいのある子供に寄り添い山中湖のほとりで富士山を眺める僕とその子の姿を激写し記事にしてくれた。

その記事、今でも探せばあるのだろうか。

 

誰かを敵にしてしまいそうだが、僕は山梨から見た富士が好きだ。

好きや嫌いは理屈じゃないから仕方がない。

 

ん?

 

 

 

そうそう、富士は山梨か静岡かという話だ。

富士山を上から見ることができる人たちもいることをご存知だろうか。いや、大抵上から見ることができる人たちが多いだろう。

でも僕に限っては、それは難しい。知っての通り飛行機ほど危険な乗り物はないと考えている故上から見ることは難しいのだ。

 

本題に入る。

僕は今東京から帰るための新幹線の中だ。

実はこれまで、飛行機に乗らないのは怖いからだと思っていた。あんな鉄の塊が空を飛べる理屈がわからないし、わかったところでどこの誰だかわからない人間に命を預けるわけにはいかない、ましてや事故の確率が極めて低いとはいえ、何かあった時の致死率は極めて高いのは自明ではないか。そもそもそんなに命懸けで移動をする必要性があるのかという至極真っ当な理由?だと思っていた。

 

ところが、僕の飛行機嫌いの理由が実は違うのではないかという一つの仮説に辿り着いたんだ。

怖いからじゃなくて、上から見るのが嫌なんじゃないかというものだ。

 

一つの事象をどこから見るかで見え方は違うというのは、

理屈抜きに当然のこと。

 

僕は物事を上から見たくない理由で飛行機が嫌いなんだ。

今日ぼくは東京に、近藤恒雄氏のメモリアルイベントに参加するためにきた。その帰りだからこその気づきかもしれない。近藤さんは俯瞰する様なことは決してしなかった。富士の例えで言えば、どっちの味方も正しい、その方向からの見え方が必要な人にちゃんと届くことが大事というものだった様に思う。上から見ると遠い、俯瞰はいらない。ともに、そしてそばでこそ、といったものを実践していたのが近藤さんだった気がする。

 

よし、飛行機の問題が解決した。

飛行機が怖いというのはもうやめよう。

 

髪をかきあげながら、まだこの問いに答えなければならないのかと心の中で呟きつつ、ふー、物事を上から見るのが嫌いなんで飛行機に乗るのをやめたんだって言おう。

ついでに地に足をつけ、そばにいたいんだ!とボソっと言おう。

飛行機が怖いなんて悟られない様に。

そんなのは嫌だ

2023/02/20

施設の利用料を支払わずに障害年金や保護費を出金してそのまま逃げた男がいたとしよう。

 

身分証や貴重品なんかもやりっぱなしで逃げている事が多いだろう。

では、彼らが本当にカネがあればどうにかなるかと言ったら、実はそうでもない。

 

結局、身分を証明できずに何もできなかったと無一文で戻ってくる。

ならば僕は身分証や貴重品を本人に渡して、自分のサイズを証明しろともう一度トライさせる。腹を空かせてるのであればご飯くらいは食べさせるかもしれない。

 

でも、

自分の力を知る時に誰かのせいに、何かのせいにしている人は一生そのままだ。問題が自分の外にある。親ガー、カネガー、タイミングガー、施設ガー、仲間ガー‥。

 

僕はその昔、自分の人生はギャンブラーの父や共依存の母のせいで狂ってしまった。高校への進学時に僕の望んだ道を選択できたのなら、こんな人生歩んでなかった。そう思って生きてきた時代があった。もちろん今でも、うまくいかない事があって苦しくなればその感覚だけが蘇る時もある。

 

でもそんなの嫌だ。

いつでもそれは、僕に与えられたものだし、僕が選んだ事なんだ。

誰かに支配されて生きる人生なんて送りたくない。

 

話を戻そう。

何のために戻ってきたのか、助けてくれる友人がいるんじゃないのか、仮想通貨を現金化できるんじゃないのか、仕事できるんじゃないのか。

その時彼が言った施設で無くても十分やって行ける理由をそのまま本人に伝えて、必要な物を全て返却して追い返した。

最後に名刺を渡して、いよいよの時は直通の電話だから時間は気にせずかけてよい。助けが必要になれば連絡する様伝えた。

 

数日後、所沢まで行った彼は多くの人を巻き込んで佐賀に戻る。遅延の影響で長らく空港で待ちぼうけ。

 

あなたの人生だから、僕には何も出来ないかもしれないけど、

一生付き合う覚悟はある。

ただ、ひとつ言えることは、

これが今のあなたの実力だ。

 

そんな感じのことを伝えた。

 

ただで帰って来るのはみっともないと思ったのかよくわからないけど、ご飯を食べさせ、持ち物検査の際には写真のものが出てきた。

入所して半年、彼のギャンブルは施設の中でさえもうまくコントロールできない。うそをついたり、それらしい言葉を並べたとて、彼は競艇のために金策をやっていただけなのだ。

 

今日から始めたらいい。

 

施設に戻った彼はおかえりと仲間たちに声をかけられ、その後あれこれいじられていた。

照れくさそうに出す声の音質はまるで子供かよ。

役割の終わった僕はさっさとうちに帰ったが、時刻は23:30だった。

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